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「和歌山洋食の父」の系譜を味わう。-和歌山市『フジヤ食堂』-


和歌山アロチ『フジヤ食堂』


花の仕入の使いっ走りで和歌山市へ。

物を受け取ったのが14時を回っていて、お昼営業終了の店多数の中、かろうじて開いてそうだった「フジヤ食堂」さんへ飛び込んだ。


聞くと本来は昼営業は14時までとの事だが「どうぞ、どうぞ、ゆっくりしていってよぉ」とたおやかな紀州言葉で招き入れて頂き、嬉しい気分。


初めてのお店。


メニュウを手繰ると心惹かれるものがあれこれで少々の悶絶時間を過ごしつつ、何せ営業時間を過ぎての入店なので未練を断ち切り当日のサービランチをオーダーした。


「フジヤ食堂」は昭和7年、木村智吉氏によって創業。



木村氏は「灘萬食堂」(現「なだ万」)で修行を積み、かっての名宿、和歌浦「望海楼」に出向。

温暖な気候、蒼く深い空と海の色、豊かな海山の幸、控えめでいて人懐こい人々、のんびりながら人の流れも賑わいもある街・・・。


いたくこの地を気に入った木村氏。独立の際は迷う事なくこの地での創業を決めたらしい。

以来、幾人もの後進を輩出し「和歌山洋食の父」とも呼ばれ、当地の料理界・飲食業の興盛の為、貢献を積み重ねてこられた木村氏。


そんな牽引者としての歴史を重ねた「フジヤ食堂」ではあったが、昭和の終焉と共に一旦その歴史に幕を降ろすことになったらしい。



時を経て。

木村氏の孫娘にあたる現・女将さんが往時の味わいを相当な努力を注ぎ込んで再現、令和元年に満を持してアロチにオープンしたのが現在の「フジヤ食堂」、と言う事らしい。

看板や意匠の其処彼処に昭和レトロの味わいがあるものの全体的には今風なカフェレストランの佇まい。



妙な張りぼて感が無く、さもしくなくていい。

味わいは往時の味を知る由もないので再現度合いはわからないが、そんな事はさて置いての優しく丁寧な味わい。


とてもいいじゃないですか!



「気ぃ使て、早よ食べてくれたんちゃうん?ゆっくりしてくれたらええんやで」

「また来てよぉ。今度はゆっくりしていってよぉ」

帰り際声を掛けて頂いたが、嬉しく心地良い。


名物だと言う懐かしい洋食屋さんのプリン、テイクアウトも可能だそうだが今回は売り切れで残念。次回必ず。


フジヤ食堂








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