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当たり前の事を当たり前に。

「上田畜産」は 肥育頭数4,000 頭を超える大規模牧場。 ここで「十勝夢牛」のオス牛(去勢牛)が育てられます。 一歩牧場に足を踏み入れると改めてその規模の大きさに驚きますが、数千頭もの牛がいるにもかかわらず、不思議なことに匂いはほとんど感じません。牛舎はもとより、通路も綺麗に清掃され、牛たちも実にのんびり穏やか。この牧場の肥育実務を担うのは、上田朗人・晴也さんのご兄弟。 「特別なことは何もしていません。当たり前の事を当たり前に、それだけを手抜きなくやってるだけなんです」と専務である朗人さんは実に控えめ。 しかし「全道交雑種枝肉共励会」での史上初となる「最優秀賞」2連覇はじめ、「農林水産大臣賞」受賞など、その高い肥育技術は華々しい受賞歴が証明する通りです。

ではその「当たり前の事」とは? 紐解いてみると、決して「当たり前」ではない「当たり前」が其処彼処に貫かれていました。 

東の空が白み始めた頃、

​兄と弟だけの大切な仕事が始まる。

「誰にも任せられません」

牧場に伺ったのは5時過ぎ、ようやく東の空が白み始めた頃。 すでに牧場事務所に灯がともり、人影が動いています。 程なく始まった給餌作業、牧場の一日の幕開けです。 

「うちでは給餌は早朝1回。2回に分けて一日の給餌総量を増やして牛の成長を促す方やり方もあります。僕は内臓をしっかり休ませる時間を取りたいので、早朝1回給餌にしています」と給餌作業をしながら教えてくれる朗人さん。給餌回数やタイミングにも、肥育家自身の考え方が現れるようです。そして最も驚いたことに、この広い敷地に点在する4千頭の牛たちに対して、朗人さん、晴也さんの兄弟二人だけで給餌作業を行うこと。当然、他にも牧場スタッフはいますが、「この給餌作業が最も大切。これだけは他の人には任せられないんですよ」 白い息を吐きながら朗人さん。たっぷり飼料を積み込んだ給餌専用車両で牛舎の中へ。一箇所、一箇所、牛舎内の区分け毎に車両を止めては、牛たちを見渡し、一呼吸置いては給餌スイッチをきめ細かく操作。車両から注がれた飼料に思い思いに喰いつく牛たちに目をやって確認しては次の区画へ。朝の冷たく静かな空気の中、厳かな儀式のように粛々とその作業は進行していきます。 

4千頭への給餌。

牛舎の一マス毎に

過去と今日を結び

​未来を描いていく。

一見、牛舎を巡っては給餌スイッチを押して飼料を配給する。そんな単純作業に見えますが、「これが一番大切な作業」と言い切るには理由があります。

給餌作業、それは単に「飼料をそれぞれの牛に与える」だけではありません。

 この作業を通じて、

食べ残しはないか?

動きはどうか?

息の様子は?

目の輝きは?

今朝の食いつきの様子は?

様々な角度から牛たちを観察して把握。そして「その把握が連続していないと意味がないんです」と朗人さん。素牛としてこの牧場に入ってきた時の状態、それ以降、その牛がどういう経過を辿って今朝という時を迎えているのか。

昨日は?一昨日は?その前は?

その成長の流れを把握することで、区画毎の「今朝の給餌はどうあれば良いか」という最終判断が為されていきます。

「毎日、毎日、見て聞いて感じる事を自分に刻み込んで、それを繋げていかないと正しい判断はできません。逆にこれがしっかり出来ていれば、後はそこに対する対応だけですから」給餌の今を過去からの線とつなぎ合わせて、未来を描き出す。 確かにこれは誰にでもできることではありません。「連続性が切れてしまうと、それが崩れてしまう。だから誰かに変わってもらうことも、休むこともできないんです。」 つまり、これこそ「牛たちをしっかり見て適切な給餌管理を行う」という「当たり前」の事に真正面から向き合った結果。「技術本とか読んだり、人の話ばかり聞いててもダメですよ。俺たちは学者じゃないんだから。毎日、毎日、一頭、一頭、牛を見続けるんです」 弟の晴也さんも明るく言い放ちます。 答えは日常の現場にこそ散りばめられている。そしてそれをしっかり丁寧に拾って紡いでいく。万事、この「当たり前」から逃げず妥協しないのがこの兄弟の流儀なのかもしれません。

「特別なことは何もない。当たり前のことだけです」

確かにこの牧場には、一目をひく特別なやり方は皆無。愚直で地味、そしてひたむきな日常の仕事の積み重ねが只々あるだけです。 しかし、だからこその境涯であることも事実。前人未到とも言える受賞歴は静かにそれを証明します。

そして

午前9時。ようやく給餌作業が終わる頃。陽はすっかり東の空に昇っていました。

この道をまっすぐ歩む。

覚悟を決めたその目に

​もう迷いはない。

命をいただく重み。

牛への尊厳と感謝を持って。

 

そんな朗人さんですが当初から肥育家の道を志していた訳ではありません。 牛に負荷をかけて育てそれを出荷する。その仕事に迷いも躊躇もありました。 

しかし、社会から必要とされている仕事。

そして、誰かが行わなければならない仕事。

それに、何も無い大地で牛十頭から、祖父そして父が営々と築き上げた牧場。 

だから、牛たちにしっかり報いる仕事であれば。 

牛に大きな負荷がかかる過度な「さし」の追求は行わず、牛たちが本来持っている味わいをもっと引き出す。 牛たちが、どこの牧場で育てられるよりこの牧場で育った方が少しでも幸せに過ごせ、「おいしい」と言ってもらえる。 

「牛に命をもらっています。だから、そこに最大限報いたい」

自分が果たすべき牛たちへの責務は、そういうことでは無いか? この「当たり前」を全うする。

人さんから、もう迷いは霧消していました。

「当たり前」に専心。

心にそう決めた人の行動は強くまっすぐなのです。

繊細で緻密、

物事を突き詰めて考えるな兄。

おおらかで寛容、

人を惹きつける弟。

二人が組めば

​なんでも出来る気がする。

父の死、そして兄弟のタッグ

 

そんな朗人さんの仕事の目標は父、上田愉逸さん、現在の上田畜産の経営基盤と生産姿勢 を築き上げた人でした。 朗人さん、晴也さんが言う「当たり前」の事こそ、この父の仕事そのもので、二人にとっ ては良き指導者であり目標でもありました。

その父、愉逸さんが平成22年急逝。

それはあまりにも早く、突然の事でした。

「僕は父について5年ほど経った頃。一通りの事は覚えた段階でしたが・・」朗人さんが話します。 そんな折も牛たちの生は、猶予を与えてくれません。その日も、また次の日も、変わらず給餌作業に始まる牧場の仕事は止まる事がありません。それに加え、様々な経営面での実務業務や取引先との対応など、これまで経験した事のない仕事が朗人さんの肩にずっしりのし掛かって来ました。 そんな時、影に日向に献身的にサポートしたのが弟、晴也さんでした。 「あの時、弟がいてくれなかったら心が折れてしまっていたと思います」と述懐する朗人さん。

「俺と兄は全然タイプが違うんですよ。だからまあ、兄や母の苦手な事を俺が受け持てばいいかなって思ってるんすよね。例えば、素牛の競だとか、外の付き合いだとか・・ね」

さらに続けて 「俺を使えるのは、母と兄だけだと思ってるんすよ。だって俺、他の人だとどうしようもねえすから」ガハハと大笑する晴也さん。

繊細で緻密、物事を突き詰めて思考する朗人さんと、そこにいるだけで周りが明るくなり、屈 託無く誰とでも気心を通じ合う晴也さん。これは確かに出来過ぎの組み合わせかもしれません。「とにかく弟と一緒だと強くなれる。負ける気がしないんです。支えてくれて本当にありがたいと思う」 朗人さんがそう語ります。 この牧場の最大の強み、それはこの兄弟のタッグにあるのかもしれません。 

母と最強タッグの兄弟。

追いつけそうで、まだまだ遠い父の背中。

​その背中の教えに違わぬように、まっすぐ、まっすぐ。

遥かなる父の背中を追って。

 

母、充代さんと朗人さん、晴也さん。父なき後、この体制になって随分と年月を重ねてきました。「もう父に追いついたかなって思う瞬間もあるんです」少なくとも対外的な評価である受賞歴は父の代を遥かに超える実績を積み上げてきています。

「それでも節目に節目に、ああ、父はこんな仕事もしてたんだなってわかる時があって」その度に、父の大きさを再確認するのだという朗人さん。

「母と兄と俺、3人で父の仕事かなって気がしてます。父には永遠に追いつけないと思い ますが、ずっと追っかける人がいてそれでいいかなって」と晴也さん。

二人にとって羅針盤である父、愉逸さん。近づいたかと思えば、また少し遠のく父の背中を誇らしく語る兄弟。その父の背中に違わぬように、真っ直ぐに。「当たり前」の事を「当たり前」に、今日の自分は出来ているか?逃げていないか?
 「上田畜産」の物語は、そうやって紡がれていくのかもしれません。

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