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宮崎の美味しいトマト
トマトこそ我が生涯。

原点  「母ちゃんに楽してもらいてえ」

 

「父が早うのうなったもんで」

安藤さんの生家は農家。早逝した父に代わり、母が農業で一家を支えました。

そんな母を幼い安藤さんは懸命に手伝います。

「農作業が忙しゅうなったら学校を休むんだけんど、先生が安藤は偉えぞって褒めてくれまして。そんげ時代やった」と懐かしむように話します。

機械化、省力化がままならぬ山間の地。何をするにも多くの手数、労力が必要でした。

「早う母ちゃんに楽してもらいてえ」

自分が一人前になって、ここを豊かな実りの地にする。そして苦労を重ねた母に楽してもらう。その一念で安藤少年の目はまっすぐに農業を見つめていました。

宮崎が育む味わいトマト

運命  新しい農法へ

そうして高校を卒業。

実家の田畑を耕しながら、農業について貪欲に学ぶ安藤さんにある大学教授との出逢いがありました。

「農業でやっていくと決めているんだったら、新しい農業を学んではどうか?」

教授に紹介されたのは、新しい農法をその植物の原生地に近い環境で、必要最低限の水と養分を少しずつ与え栽培することで、その植物の生命力を最大限発揮させるという農法。まだ提唱されたばかりで実践事例に乏しい未知数の状態。

「こりゃ面白いかんしれん」

水も肥料も出来るだけ少なく、それは安藤さんにとって新鮮な発想でした。

そして何故か、これは自分の人生を変えるものになるかもしれないという直感。

その思いに突き動かされるように、その農法に飛び込みこみました。

 

転機  生徒から先生へ

幼い頃から母を手伝い、つぶさに田畑を見続けてきた安藤さん。その農法を吸収するのに多くの時間はかかりませんでした。

そんなある日、思いもかけない事がその主宰者から告げられました。

「これからは君が先生になれ」

沖縄の山原の地でこの農法による大規模なトマト栽培。

それはこの農法が生業としての農業に活用できるのか、

痩せた貧しい土地を実りの土地に変えることが出来るのか、

それを実証する重要なプロジェクトでしたが、なんと安藤さんは現地での栽培指導員として派遣されることになったのです。

「自分ん役割は、トマトん苗を作って現地生産者に供給すっこと。そして、現地ん生産者にこん農法を指導することやった」

生涯のテーマとなるトマトと本格的に向き合う第一歩。画して、安藤さんは沖縄の地へと赴きます。

22歳の頃でした。

赤くなるのを待つトマト

苗と信頼  沖縄山原奮闘記

初めて降り立った沖縄山原の森。

それは見事なまでの赤土粘度の酸性土壌で痩せた貧しい土地でした。

苗を作る。

それは重要な任務です。

とりわけこの農法では、少ない水と栄養を余す事なく貪欲に吸収させるため、しっかり根が張っている苗が作ることが必須でした。苗次第で畑に植えた(定植)後の出来を大きく左右してしまう勘所でした。

そして何より生産者からの信頼。

今までの常識をかなぐり捨ててしまうような農法を唱える22歳の若者を生産者達はそう簡単には信用しません。

「ここで必ず良いトマトが出来る。トマトでっこが豊かな土地になる」

そう確信して、安藤さんは前を向いて歩むしかありませんでした。

苗作りに精を出しては、生産者に根気よく指導する。

今、トマトはどういうなのか。それは何が理由なのか。今何をすべきなのか。そうすれば60日後にどうなるのか。

丁寧に丁寧に熱意を持って、生産者に伝え栽培指導する日々。

やがて生産者達にも変化が。当初、半信半疑で聞いていた安藤さんの栽培指導内容、やってみれば見事その通りに。

支給される立派な苗と相まって、安藤さんは徐々に信頼と尊敬を集めていきました。

そして収穫の時。

「これは、うまさん。うまさんどー、先生!」

歓喜する生産者。

安藤さんが、真に「トマト先生」になった瞬間でした。

 

全国行脚  更なる進化

「日向に安藤在り」

沖縄でのトマト栽培の成功を歴て、その世界では広く知れ渡る存在となった安藤さん。

熊本、長野、福島、そして海外。その実績を聞きつけ、トマト栽培の技術指導者として要請がありました。

異なる様々な気候条件と土壌。

全国を股にかけ、複数産地のトマト栽培を同時並行で指導する経験を積み重ねることにより短期間の内に数多くの経験値を積み上げた安藤さん。トマト・エキスパートとして更なる進化を遂げていきました。

トマト栽培のノウハウを伝授

帰還  故郷、日向の地で

栽培指導を要請する産地が後を立たず、全国を奔走して四半世紀。

故郷、日向で自身の農場を始動したのは47歳の頃でした。

「早う母ちゃんに楽してもらいてえ」

そんな思いで飛び込んだ農業の世界。

自らの知識と経験で築き上げた農法を多くの産地、多くの生産者に惜しみなく伝えてきた四半世紀は一見遠回りのようでもあります。しかし、トマト栽培指導者としての絶大な信頼は、この四半世紀あってのこと。

現在、自社で直接管理する1.5haの圃場と思いと栽培方法を同じにする契約農家約50戸が栽培する10haの圃場でトマトを生産・出荷する安藤さん。

「わしん自慢は、うちと提携した生産者で辞めたところは一軒もねえこと。

もし辞むるところがでたら、わしゃてげショックや」

と何より生産者との信頼関係を重視する安藤さん。今も、年に1〜2戸のペースで新しい仲間が増えています。

 

真骨頂  トマトでもっと笑顔を

生産者、経営者、栽培指導者、組織者・・・トマトを軸に現在、多面的な顔を持たれている安藤さん。

もし許されるとしたら、どんな立場になりたいかを聞いてみたところ

「経営を任せらるる人がおりゃ、自分はじっくりトマトに向き合いたい。そして、得たもんをもっと多い人に教え、喜んでくるる人を増やしたいてえなあ」

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