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シャキシャキながらやわらかく、

エグミのないみず菜。

利用者にも人気の産直野菜です。

生産者はもちろん、

目を引く巨躯にまんまる笑顔で

お馴染みの冨田さん。

冨田農園は、正社員・パート社員等併せ

約80名にもなる大規模な農園ですが、

その農園を率いながら、あくまでも腰低く

穏やかな雰囲気はかわらずです。

「知ってる限り、代々農家だっぺ」

その体と心には農家としてのDNAが

深く刻まれ息づいている様子。

さて、人気のみず菜は如何にして産まれ、

栽培されているのか?

聞いてみるっぺ!

こう見えて、

剣道部キャプテンだべ

さて、その頃はどんな体型だったのでしょう?

冨田さんの出身高校は剣道では県内有数の強豪校。その剣道部でキャプテンを務めていたとのことで、さぞ多くの武勇伝を聞けるのかと思えばさにあらず。

「いやいや、上には上があっから」と万事控えめな冨田さんらしく、自慢話はいっさい無し。

その代わり次々と口をついて出たのは、当時の部活動で如何に指導者の気分感情と決めつけ、思い込みで自分たち部員が不合理に振り回されてかという「今だったら絶対だめだっぺぇ、そうでしょう?」という話。

例えば、

確実に格下の相手なのでそれなりに団体戦を軽くいなして勝利。しかし「姿勢がなっとらん!」と帰りのバスから全員降ろされ重い防具を担ぎながら10km程も歩かされたこと、体調がほんとに悪くて辛うじて勝ちは得るものの、これまた「やる気がない!」と罵倒されキャプテンでありながら次の試合のメンバーから外されそうになり土下座して事情を話し必死で詫たこと・・・などなど。

もちろん今更の恨みつらみでなく、青春の一コマ、愉快な昔話として面白おかしく話されるものの、理不尽・不合理なことの不毛さや無意味さを人一番敏感に感じ、心に刻んだ3年間だったご様子。そしてどうやらそれは、冨田さん生涯のテーマとなってしまったようなのです。

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はじめの一歩

そんな勇ましくも理不尽な事の多い高校生活を送った冨田さん。

大学から剣道部へとの誘いもありましたが、嫌気がさしていたせいか、きっぱり断り一年を経て「まあ、ずっと後継ぐもんだって思ってったから」と農業の道に歩みを進めました。

 

さて、ここ茨城県鉾田市といえば全国に冠たるメロン産地。

冨田家も例に漏れずメロン生産者であり、幼い頃からその栽培を仕込まれて育った冨田さん、さっそく一部のハウスを任さるれようになりました。

メロン栽培。

それは半年間休み無く働き詰めて栽培し、収穫・出荷したその一日の評価で年間の収入が確定してしまうという世界。もちろん、メロンの評価や市場価格により高値がつくこともありますが、そうでないこともまま有り、先々が見通しにくいリスキーな栽培でもありました。

更に、栽培に必要な資材や肥料やらは掛け買い。出荷した日に売上から差っ引かれ、生産者にはその残りが手渡されるという仕組みです。

初めてメロンを出荷した冨田さん。

「忘れもしねえです。こーたものなのがって思っちまって」

半年間懸命に働き、冨田さんが手にした収入は予想を大きく下回るもの。それは家族は勿論、大人独りが一年間暮らしていける金額にも満たないという衝撃の金額。こんな現実があろうとは・・・。思えば両親にも厳しい年があったのでしょうが、それをおくびに出すこと無くも何不自由なく育ててくれていたのかと思うと、改めて頭が下がる思いがしました。

「しみじみしてる場合じゃねえべ」

そうです、感傷に浸っている場合ではありません。

「これは、なんとがしなくちゃいけねえ、どうすっぺ。」

見渡してみれば、メロン栽培の枠組みの中にあって主役であるはずの生産者は苦労に苦労を重ねた挙げ句、たった一日で明暗が分かれるという崖っぷちを常に歩かされながら、同じその枠組みの中にあっても安定して収入を得る立場もある事にふと気づきます。一番苦労しているものが一番不安定な立場に置かれる。頑張っても頑張っても自分の意志ではどうにもならず委ねるしかない。若き冨田さんの脳裏に、あの理不尽な部活動の日々が重なります。

「だめだぁ〜。この枠組に居る限り、ずっとずっとこのままだっぺ。こんなのは嫌だ」

それは代々重ねてきた農家のDNAが唸りをあげて逆回転しだした瞬間、反撃の号砲があがった瞬間だったのかもしれません。冨田さんの奮闘の日々が始まりました。

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さらば!「経験と勘」の農業

「なんとしても、抜け出さねばなんねぇ」

その思いは強くとも、どこにどう抜け出せばいいのか皆目見当がつきません。ともかく、その衝動は若い冨田さんを突き動かし、西に新しい農法を行っている人が居ると聞けば赴き頭を下げ、東に勉強会があると聞けば行って傾聴し、貪欲に農業を学び、がむしゃらに突破口を求める日々を送りました。

そして、そんなある日。

とある勉強会に参加していた冨田さん。話題がその年に地域で問題となっていた稲の倒伏(稲が倒れてしまうこと)になった時のこと。

「肥料のやりすぎがだめだっぺ。来年は控えるようにする」

隣の大先輩の米農家がそう発言した時。

「どんな所に、いつ何をどんだけ減らすんだっぺか?」

それはごく自然に、かつ当然の疑問として冨田さんの口をついた言葉でしたが、大先輩の顔は見る見る鬼の形相となり

「おめぇみてぇな若造には判んめぇがな。俺には経験と勘があんだ!そんなのはな、理屈じゃねぇんだ!」

と公衆の面前で罵倒される始末。

その瞬間、ふっと冨田さんは得心します。

(これだぁ!これがいつまでたっても農家が良くなんねぇ元凶だぁ!)

元より経験は大切です。しかし、それは単に時を重ねるのではなく、一つ一つの結果とその原因を結びつけ、それを数多く蓄積しては全体の法則性を確立してこそ意味をなすもの。

なんとなくこうだろう、こうに違いない、こうのはず、きっとこうだ。

何が作用して、この結果となったのかを解明せぬまま、次はこうしよう、ああしようと安易に決めつける、その危うさ、不条理さ、不合理さ。

またもや冨田さんの脳裏に竹刀と防具の懐かしくも汗臭い匂いが立ち込めてきました。

(勘ほど怖えもんはねぇ。俺は経験と勘の農業から決別するっペ)

依然、真っ赤な顔をした大先輩の横で、心静かに決意する冨田さんなのでした。

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運命の野菜「みず菜」

万事に道理があり、因果がある。

先人に尋ね、文献をあさり、様々な作物で実践を繰り返し、一つ一つの法則を確認しては蓄積していく日々を重ね、その事を確信していく冨田さん。

学ぶことはとっても多い。

土壌のこと、肥料のこと、天候のこと、水のこと、作物のこと、市場のこと・・・・・。それら様々な要素が相互に作用する複雑な世界ですが、それでも一つの道筋が冨田さんの中に確固として形成されて来た頃、最大の問題はどんな作物を主力に栽培していくか、という事でした。

そんなある日、貪欲に研究・実践を重ねる冨田さんの姿を見込んでか、父の友人で野菜の卸会社を経営する方に声をかけられました。

「おめぇ、そんな熱心にやってるんだったら、これ作ってみろ」

手渡されたのは、見慣れぬ植物の種。

その種こそ「みず菜」でした。

本来、みず菜は「はりはり鍋」に代表されるように関西の冬野菜、鍋や煮物など加熱するのがそれまでの食べ方でした。ところが、すじっぽさとエグミを少なく育てる栽培が確立、サラダなどの生食による需要拡大が期待されていたのです。

「みず菜はな、きっと波がくっから。今から研究してやってみろ」

その人の見立てでは関西を超えて、全国でみず菜の生食が大きなトレンドになり、消費が激増するというもの。

とは言えど、冨田さんにとっては未知の野菜「みず菜」。

今まで得てきた知識と技術を総動員してこの野菜の研究・栽培に取り掛かるのでした。

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どこにも負けない「みず菜」

「生食でおいしい、シャキシャキしながらやわらかく、エグミのないみず菜」。

実現すべき目標が具体的になった冨田さん。

メロンや米のように一年に一作しか出来ない農産物と異なり、みず菜は最長でも約70日、暖かい季節では最短約30日で栽培できる野菜です。

短い栽培スパンで収穫出来ることは、それだけ多くの結果と原因を収集し、仮設と検証に基づく経験を短期間に多く積み重ねる事ができるということ。みるみるうちにみず菜栽培のノウハウを積み上げていきました。

そうして出荷を迎えた日。

あのメロン初出荷の苦い思い出がよぎります。

果たして・・・・。

予想は裏ぎられました

なんと、びっくりするほどの高値が付いたのです。

喜び勇んで、勧めてくれた恩師にその報告に行った冨田さんでしたが、何故かそこには渋い顔。

「おめぇな、高値になったもんは必ず2〜3年で暴落すんだぞ。なのに浮かれちまいやがって。いいか、おめぇは高値の間にどこにも負けねぇみず菜作れるようにしとくんだ、わかったか!」

と叱責される始末。

しかしながら、もっともっと良いみず菜、おいしいみず菜を追求することには何の異存は無いわけですから、更に研究と工夫を凝らし、みず菜栽培に打ち込む冨田さんなのでした。

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やってきました!大暴落

そうして2年もたった頃。

伝説の相場師もかくありやの如く、恩師の予測はピタリ的中。

高値留まりしていたみず菜の価格は10分の1ほどにも大暴落してしまいます。

が、冨田さんには動揺はありませんでした。

「まあ、当たり前だっぺ」

その当時、大暴落は冨田さんの目から見ても当然の結果だったのです。

ひとつの理由は、参入する農家が短期に多く増え供給過多になったこと。

収入のいい作物があれば、それを栽培しようとする農家が増えるのは当然のことですが、充分な研究も無しに猫もかしこも参列する状態は、みずな全体の品質の低下を招く結果ともなりました。

もう一つの理由。それは収穫量を追い求めるあまり、過剰に肥料を与える農家が多くなったこと。みず菜はじめ葉物野菜は、窒素成分が大好物。与えれば与えるほど貪欲に吸収、より大きくより早く成長し収穫量は格段に増えます。しかし、そのみず菜は筋やエグミがあり食味は決してよくありません。やわらかでエグミなく、生食に適していたからこそ消費は伸びたにも関わらず、生食には不適なみず菜を競って栽培するような本末転倒な状態に陥っていたのです。

こうなってしまっては、良いものとそうでないものの選別と淘汰は必然。

「おめぇはどこにも負けねぇみず菜作れるようにしとくんだぞ」

その言葉通り、いたずらに収穫量を追うことなく、より良品質なみず菜を求めて研鑽を積み上げてきた冨田さん。その頃には信頼しあえる取引業者にも恵まれ、安定して栽培・出荷できるようにもなっていました。

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『冨田農園』の秘密。

「土を識る」べし。

さて、そんな冨田さん。

利用者にもめっぽう評価の高いみず菜は、どのように栽培されているのでしょうか?

まず冨田さんが筆頭にあげたのが、

「土をよ〜く識ることだっぺ」

ということ。

複数の地域に分散し、多くのハウスを抱える冨田農園。

その土壌は、関東ローム層と黒ボク土のちょうど中間くらいの色目で、素人目にはどの地域も同じような土質に見えます。

しかし、

「古くからの畑は、関東ローム層の赤土中心。新しく開墾したとこは黒ボク中心で性格は違うべ」

とのこと。

更に地下水の流れ方や硬い地盤が地下のどれ位にあるかないかなどで、土壌の性質はきめ細かに違うのだそうです。

「よぐ、肥料の説明なんかで『この時期に、1アールあたり100キログラム入れましょう』なんて言ってるでしょう?そんなの畑の土がどんな状態か判らねえで必要量なんて判らねえべ?」

言われてみれば確かにそう。

それは、患者の体を診ること無く一律で薬を処方するのと同じ。効くこともあれば、効かないこともあり、最悪の場合は悪化するという、当たるも八卦の世界。

冨田農園でまず行うのは、畑ごとの土の状態を正確に把握すること。

年に一度、各畑の土壌サンプルを専門機関に提出し、その成分分析。そう、人で言えば健康診断と同じです。こうやって把握した各畑の状態に応じて、その畑に必要な元肥の内容を確定。こうすることで、どの畑もみず菜栽培に最適な同一の条件となりスタートがきれるようになるのです。

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『冨田農園』の秘密。

 命の堆肥。

 

農業を志す後進を育成、支援するのも今や冨田さんの大きな任務。

栽培現場の日常管理と作業は、もっぱら次代を担う若者が担当し、冨田さんはその管理監督役を担っています。

それでも

「これだけは俺がやんねぇと。」

という作業が自家製の堆肥作りです。

「うちの心臓。これがないと、冨田農園のみず菜はできねぇんです。」

そう語るほどに重要な位置を占めているこの堆肥。

その原料は、もみ殻と廃菌床(用済みになった、きのこ類を栽培する為のベース部分)、それにジュースの絞り粕等ですが、その配分比など詳細を知るのは冨田さんのみ。発酵が均一に進むよう大型の重機で撹拌しながら半年から一年半、完全に発酵させて後、ようやく堆肥として使用します。

お気づきでしょうか?

この堆肥、原料は全て植物性原料で、牛糞や鶏糞などの動物性原料は、

「どかんと効くんだけど、効きすぎるっぺ。人でも、食べ過ぎっと下痢するでしょ?」

との理由で使いません。

「大豆粕なんかも試したこと有ったんですけど、あれも効きすぎてよくねえんで止めたんです」

と様々な試行錯誤を繰り返し現在の形に。更に

「これがしめじの廃菌床、そんでこっちがエノキの廃菌床。これがどうなるのか、今試してるとこだから」

とその探求は現在進行形なのです。

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『冨田農園』の秘密。

 必要最小限をきめ細やかに。

 

畑の土を分析した上で整える。

そして追肥として与える研究を重ねた自家製堆肥を準備する。

これがここまでのお話。

そして、いよいよ種を撒いてからが冨田農園の真骨頂です。

「肥料やり過ぎるとよ、みず菜はやった分だけばくばく喰っちゃってメタボになっちゃうでしょ。一見、大きく育っても不健康でおいしくないみず菜になっちゃうでしょ」

なるほど冨田さんが言うと妙に説得力が有ります。

与えすぎないよう必要な分量を細やかに。

「これが、うちの『どけち農法』だぁ」

と独特の表現をする冨田さんですが、「どけち農法」というよりは「ダイエット農法」。

人もそうですが、管理不足で太ってしまうのは実に容易く、健康的にダイエットし、健康な体を維持するのはとっても難しい。

日々欠かさぬ作物との対話でハウス毎の作物の状態を把握し、必要性のある時に必要な分だけ堆肥や水分を与える、実に手間と観察力が必要な栽培を実践する冨田農園。これこそがみず菜の味わいを決定づけているのかもしれません。

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全国から集う農業男子・女子

 

冨田農園で働く多くの人々。そこには若い男子、女子が多く働いているのが印象的です。

農業を志し新卒で就業した人、

様々な職業を経験した後、農業に惹かれ就業した人、

震災を経験し次の仕事を探す中で就業した人、

いずれは農家としての独り立ちを思い描いて就業してきた人・・・。

就業のきっかけこそ皆様々ですが、若人達が懸命に土と野菜に向きあっている姿はなにやら感動的でもあります。

「この農園は、きちんと栽培の理論が確立されていて、実践で検証しながら学べます」

「自分たちの施したことが、きっちり作物に反映されるのが面白いです」

と作物を育てることの喜びを日々実感しながら働いています。

そんな彼らに「冨田さんってどんな人?」って尋ねると、

「・・・もう、見た通りの方です」

「そ・・・尊敬しています」

と表現は異なるものの、まず満面の笑顔を浮かべるのは共通。

冨田さんの農法や考え方のみならず、その人柄も全国から若い男女を農業へと惹きつける大きな魅力のようです。

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誇り高き「百姓」として

 

そんな冨田さん。

「俺は自分のこと、『百姓』だと思ってる。」

と胸を張ります。

「百姓」とは本来、百の事に通じ百の仕事をこなせる人。

歴史、土壌、化学、気象、経営、人心、・・・。

「農」を自身で考え判断し、「業」として何者にも束縛されずに自立しようとすると、学ぶこと、識ることは多く、それが結実するのが作物です。

かくも農業は幅広く奥深く、そして素晴らしい。

その農業を、狭く浅くつまらなくするのは、実は取り組む人の志次第。

「今までうちの農園から二人が独立。しっかりやってるっぺ。」

と目を細める冨田さん。

「一戸、一戸の農家が百姓として強くなることで、初めて地域も強くなるべ」

そんな誇り高き「百姓」を育てることで、少しずつ、でも確実に地域を変えていきたいと話す冨田さん。なんだか、とっても男前に見えてしまいます。

理不尽・不合理にまみれた学生時代。

懸命に栽培・出荷した作物に納得できる価格がつかなかったメロン栽培時代。

経験と勘だけが幅をきかせる修行時代。

そんな時代を経て、全国からその農法と人柄を慕われ、農を志す人が集う場となった冨田農園。

この農園には、日本の農業の未来がつまっています。

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