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  鰻と暮らす。

  鰻に寄り添う。

  五感で鰻と対話する。

 

 

 

 

 

 

  

  鰻生産者、牧原博文さん

 

 

鰻生産者の朝

明けの明星が輝く東の空が、ようやく白ばむ午前4時。

鰻の養殖ハウスにポツリ、ポツリと明かりが灯ります。

「毎日、給餌は午前5時と午後5時。鰻はその時間を覚えてて、ほら、こうやって池中からここに集まるんです。」

なるほど、白色電灯に照らされた池の中を覗くと餌場にぎっしり鰻たちが集結しています。

「給餌の前にね、池を一つずつ見て回って、鰻にどれだけ食欲があるか、活気があるか、池のコンディションはどんな具合かを見極めてね。それに応じて、餌の量や水分量、ビタミン類などを加える量を決めているんです。」

なんと毎日、決まった内容を決まった量だけ、という単純なことではないようです。しかし、素人がどうみても鰻の様子はどの池も同じようにしか見えません。

「そうですよね、わからないですよね」

牧原さんがイケメン特有の爽やかな笑顔で微笑みます。

「僕もね、最初は全くわからなくてね」

今は二十一年のキャリアを誇る牧原さん。そのルーキーズ時代の物語を紐解いてみましょう。

 

結婚、そして転身

実は牧原さん、元は鹿児島市内のデパートに勤務されていたとか。やや畑違いの養鰻業は、実は奥様のお父様の生業。二十五歳でご結婚され、二十七歳で未知の養鰻業への転身。恋の情熱ゆえか、鰻に興味があったのか、今となっては定かではないようですが、これが長いトンネルの入り口だったとは当時の牧原さんには知る由もありませんでした。

 

謎の「水ば作れ」

師匠である義父。当時、牧原さんが指示されたのは「水ば作れ」の只一言。

「水?水を作れ?」まるで禅問答のような指示に当惑。それは、どうやればできるのか義父に食い下がると「池ん匂い、色ば見て、鰻の動きば、よう見て決めればよか」との教え。

「今ならよくわかります。あの時には、そうとしか教えれなかったという事が」振り返って、そう笑う牧原さんですが、当時、そんな余裕はありません。義父の後を追っては、同じように池を見て、鰻を見ますが、義父さんに見えてわかる事が牧原さんには皆目わかりません。義父さんは、ただ黙って自分の仕事を牧原さんに見せていましたが、その背中は、あまりにも高く険しくそびえる断崖のように牧原さんには思えました。

「えらいところへ来てしまった」

もう会社も辞めている、何より奥様の手前、逃げ出す事など出来ません。

(これはどげんがせんといかん)

ここから牧原さんと鰻との格闘は始まります。

「よか水」を科学せよ

実は鰻の養殖というのは、いつも新しい綺麗な水で池を満たすのがいいという訳ではありません。少々難しいですが、鰻が排泄する糞から発生するアンモニア、そのアンモニアを水中のバクテリアが分解して亜硝酸塩に、その亜硝酸塩をまた違うバクテリアが分解して硝酸塩に。これらのバランスが良い形になった時、不要な病原菌は抑制されつつ、鰻の生命力が活性化され著しい成長を見せるようになります。ただ、良いバランスを保てないと鰻に負荷がかかり過ぎたり、或いは安穏とした中で必死に成長しようとしなくなったという状態になります。義父さんが言った「匂い」「色」「動き」はそのバランスを見る指標ではありますが、これには恐ろしいほどの経験値が要求されます。「匂いや色で判るなら、それを示す指標や数値もきっとあるはずだ」追い込まれた牧原さんは考えます。

水温、ペーハー値、亜硝酸塩濃度、硝酸塩濃度、アンモニア濃度・・・きっとこれらの最適値があるはず。しかし、一体どこから手をつけていけばいいのやら。

しかし、このような思いを抱えている生産者は牧原さんだけではありませんでした。

仲間とのトライ&エラー

同世代、そして少し先輩世代の生産者に悩みを話して見ると、牧原さんと同じように従来の経験による職人肌の仕事から、より客観的に科学的に鰻養殖ができないかを真剣に考えている人が多くいる事がわかりました。そこから、それぞれが行なった小さな検証が広く仲間へと交換されて行きます。

「どうやら水温は30度前後が一番、いいみたいだぞ」

「ペーハー値は、これくらいだな」

多くの仲間による実践での仮説検証。小さな小さな断片が繋がり縒られ、やがて太い一本のロープになっていくように、鰻養殖の科学的なノウハウは徐々に体系づけられていったのです。

「十年、いやもっとかかったかもしれないな」

牧原さんが述懐します。

「仲間がいなければ、とてもできなかった」

そんな血と汗の通ったノウハウで鰻は育てられています。

 

父から息子へ

そして今、牧原さんの傍にはご子息の圭祐さんが寄り添っています。

牧原圭祐さん二十二歳。若いですが、すでに二年のキャリアを積んでいます。

「もう池を見れるし、鰻も見れる。任せられますよ」と嬉しそうに話す牧原さんですが、やはり一緒に現場に出ると、二十年のキャリアの差は歴然とあるようで、細やかな鰻の機微や池のコンディションの変化を圭祐さんに伝えています。

あの日、義父の言う事がまるでわからなかった牧原さんですが、今では池の匂い、色、鰻の動きを見れば、様々なデータを計測したそれ以上に正確に、的確に、状況判断ができる域に到達しています。この父の背中は圭祐さんにはどのように見えているのか?機会があればぜひ聞いてみたいところです。

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