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養殖事業部部長、尾濱直樹さんに聞く

 

小売店15年の勤務経験

倉橋島水産が加工する約30%を生産する関連会社「大良」。尾濱さんは、そこで牡蠣養殖に従事する責任者。

「15年ほど、広島市内の量販店で鮮魚担当をやってたけん」今の仕事についてから8年。父、忠さんが前任者で70歳を機に3年前に引退してからは、責任者として牡蠣養殖の最前線を取り仕切る。

「お客さんの声を直接聞く、小売の現場に長ういたけえ、今も自身が作るもんが、売り場でどう見られるじゃろかいう事がいつも気になっとるけ」と、今も実際にお金を出して真剣に買い物をするお客さんの姿が脳裏を離れることはないと言う。

そんな尾濱さんに、牡蠣養殖の内容をお聞きした。

ええ牡蠣作りたいけん

 

10月から翌年10月までの沖の牡蠣筏での成長期。ここでどんだけ手かけてやるかで牡蠣の出来が変わってくるでね」と話す。素人にはどこも同じように見える海であるが、箇所ごとに水温や潮、風の流れ、プランクトンの状態などが異なる海。その海のコンディションを読み取った上で、筏ごとの牡蠣の状況を細かく観察し見極め、それぞれの牡蠣の状態に適した場所へと筏をこまめに移動し成長を導く。」実際、そこまで手をかけずとも牡蠣は一通りは成長するが「どれだけ目配り気配りして、こまめに手を入れてやるかが、ええ牡蠣ができるかどうかの分岐点。どこに出しても恥ずかしない、ええ牡蠣作りたいですけん」と静かに矜持を覗かせる。一手間、二手間、牡蠣は誠実に向き合えば、必ずそれに応えてくれるのだとか。「地元の人に『倉橋の牡蠣がやっぱり旨いわ』『他のとこの牡蠣使とったけど全然違う。お前とこのうまいけ、お前とこのにするわ』と言うてもらえるときは、本当に嬉しいですけん」それは全てが報われる瞬間。「それがささやかな誇りですけん」海の男にしてはあまりにもシャイでジェントルな牡蠣漁師は、はにかみながら微笑んだ。

人が足らんけん

「こんまい時から見てたけん。よう手伝いもしよったし」仕事の内容は、幼い頃から勝手知ったるもので戸惑うことはなかったそう。

それでも「とにかく人が欲しい。けど、仕事がきついけん集まらん」と話す。

一見、のどかにそうに思える牡蠣養殖。しかしその実、年間を通じて膨大な作業量。

それに加え、一般的な牡蠣漁師に比べ生産量が3〜4倍も多いため、尾濱さんは多忙を極める。特に10月から翌年5月の水揚げ時期ともなると、それこそ早朝から夕方まで働きづめ。

そんな実態を知ってか知らずか若者の牡蠣漁離れは著しく、広島全体でも牡蠣漁師は最盛期の約半分にまで減少しているのだとか。

それでも「沖の仕事が好きじゃけ」と尾濱さん。

「何百年、綿々と何世代もの人々が紡いできた広島の牡蠣養殖の歴史と知恵、技術じゃけ、誰かがやらんといかんけね」と笑いながら汗をぬぐった。

目をかけ、手をかけ、

一手間、二手間。

「選んでもろたら、嬉しいけん」

嘘のない顔、真っ直ぐな顔。
こういう人の汗と努力が、見えないスペック。

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