gunchiku Story
早朝、集荷場に集う生産者
海を隔てて陸となす。
水を切り、日に干した海底は、やがて真新しい大地へ。
ここ、熊本県八代市「郡築」は、約100年前にそうやって作られた地域です。
早朝7時前。その郡築のまだ稼働していないトマト集荷場に、一人、また一人と人影が集まります。徐々にその数は増え、その数十余名。いつしか談笑が始まりました。
「あれは、ここのトマト生産者『郡築園芸部』の役員ばい」
教えてくれるのは松本吉充さん、郡築園芸部の部会長です。
「選果場ば、トラブルないか確認すんのが目的ばってん、本来決まっとんのは二人でよかですよ。」
それがいつの間にか役員全員、毎朝農作業が始まる前にここに集合するようになったのだそう。その理由について
「皆、郡築への責任と誇り・・・その塊みたいなもんやけん」
と松本さんは話します。
誰が進行するでもなく、誰が仕切るでもなく、たわい無い話、そしてトマト生育の状況・・・それぞれが思い思いに。
「無駄な時間と思えば無駄な時間。けど、ここで皆の話聞くことで勉強になることは実は多かとですよ」
これが郡築園芸部、毎朝の光景です。
誰ともなく酵素タンクの攪拌
その矢先、誰ともなくおもむろにタンクの周りに集まり、誰かが30kg袋入りの蔗糖をドバドバとタンクに注ぎ込んだかと思えば、違う誰かが水を注ぎ込み、ゆっくり攪拌しだします。
「あれは共有で使うとる酵素ば攪拌しとるんですよ。量が少のうなったと思うたら、ああやって継ぎ足せば、また増えよりますから」
土とトマトを活性化させる効果を持つ酵素液は、郡築園芸部に所属していれば誰でも自由に持ち出せるのだとか。
「そろそろ、蔗糖を発注しとかんといけんのう・・・」
と、気づいたことを手短に事務方へ指示する松本さん。
なんとも無い話や状況に目配り気配りし、今すべきことや準備することを見つけだす。そして事務方に指示すべきは指示し、皆で共有することは共有する。部会長の松本さんにとっても、部会で起きている事を把握し、判断するための貴重な時間となっているようです。
それにしても、ちょっと他では見られないような光景。
結束。団結。そしてそれ以上に自らが所属する「郡築園芸部」に対する深い敬愛。
「郡築への責任と誇り・・・その塊みたいなもんやけん」
松本さんの言葉が何度も脳裏を巡ります。
郡築。これはちょっと変わった、面白い産地に伺ったようです。
「郡築」干拓史100年
「郡築には私の祖父の代に入植しとるんです。相当、苦労した話ば聞いとります」
松本さんが話す通り、ここ郡築の干拓は約100年前。
入植者達は、それぞれの事情と夢を携えて、この新天地「郡築」に鍬を入れ始めたに違いありません。しかし入植者を待っていたのは厳しい現実。
「塩害。最初は玉ねぎやインゲンを栽培したらしいですけど、うまくいかんかったようです」松本さんが話す通り、入植者の予想を遥かに超えた厳しい土地だったのかもしれません。干拓史から当時の様子を紐解くと「塩害で10年ほどは収穫が無かった」「海の底だった故にかき殻が多く、草履はすぐ擦り切れ、足の怪我が耐えることが無かった」など当時の壮絶な苦労が偲ばれる記述が見受けられます。
「自分の子供時分には、い草生産。その内、メロン生産も盛んになったとです」
先達が試行錯誤の末辿り着いた土壌特性に合ったい草、そしてメロンの栽培。これで郡築の農業は安定するかと思われましたが、畳の大幅な需要減と安価な海外産外い草の席巻により、い草栽培は敢え無く衰退。そしてメロンは嗜好品故、相場に大きく左右されるため、地域を支える基幹作物としては安定感にかける面がありました。
転機。郡築とトマトの出会い
そんな時に郡築にもたらされたのがトマトの栽培です。
「トマト部会は57年の歴史。始めた頃は今のようなハウスやなかばい。そん頃は、お金が無いもんじゃから竹で組んだ粗末なハウスで、右も左もわからんと始めよったばい」
しかしこのトマトこそ、郡築にとっては天恵の作物。
これまで郡築の生産者を苦しめ、栽培品目を制限していた土壌の塩分。それは「塩害」をもたらす大きなマイナス要因でしたが、殊トマトに関しては適度な成長抑制として作用する事で、トマトの生存本能を刺激。結果、味濃く良食味のトマトができることが実証されていきました。また水留まり、肥料留まりの悪い砂地。それもトマト栽培に必要な繊細な水切り管理を行うのに適していました。
塩分と砂地。農業用地としてはマイナスと思われていた要素が、トマトという作物においては全てプラスに。まるで劣勢を強いられていたオセロゲームが最後の一指しで大逆転、全てがひっくり返ってしまったような展開。
そして郡築は、日本のトマト生産を牽引する大産地としての道を歩み始めました。
第二の転機。郡築の決断
それからの郡築は、恵まれた土壌条件と栽培ノウハウの蓄積によって、トマト産地として確たる道を歩んでいきました。
そんな折、大きな転機が郡築に。1996年のJA合併です。
「いろいろあって、合併前の単一生産グループごとに、それぞれが独立採算制で生産事業を行なっていくことになったとですよ」
独立採算制による自立。それが合併に際して、郡築の生産者が出した結論でした。そこに至るまでの道のりを深くお聞きすることはできませんでしたが、それぞれの生産者に譲れない大切なものがあったに違いありません。
「私たち、郡築園芸部会も、今まで以上に力をつけていかにゃいかん。どうしたらええか、そりゃ皆で真剣に考えましたばってん」
郡築園芸部は次の段階へと歩みを進めていきます。
ミネラル栽培。「中嶋農法」との出会い。
郡築の持ち味は、全ての生産者、トマト畑が干拓地という特殊な土壌にあること。これは八代市、そして他地域に於いてももう一つとない特色。これをもっと突き詰められないか?
「そん時です。『中嶋農法』ば、言うもんがあるぞと聞いたとです」
「中嶋農法」、あまり聞きなれないかもしれません。
簡単に言えば、畑の土を科学的に分析し成分組成を把握。そして、作物に最適なミネラルバランスとなるよう畑毎に処方を示し調整することで、作物を健康に強く育て収量と食味の向上を図る、というものです。人と同じように、植物も栄養だけを与えるだけでは、ぶくぶくと成長するもののそれは決して健康的とは言えません。微量な必須ミネラルをバランスよく摂取することは、植物の健康にとっても非常に大切なものです。
「元々、こん土壌はミネラルが豊富。そいに砂状土ばってん、溜まりができん(余分なものが抜ける)のでミネラル管理がやりやすい。そいにトマトにストレスかけての栽培方法ばってん、樹に力をつけるのにもよかです」
松本さんが話す通り、ここ郡築のトマト栽培にとって「中嶋農法」は誠に相性の良いものでした。
品質のぶれを最小限に
「そいに」続けて松本さんが話します。
「おいは、『郡築トマト』の生産者ばってん、「松本トマト」の生産者やなかですよ。『郡築トマト』としての品質ばあげて評価してもらわにゃ、どうにもならん」
そんな松本さんが留意するのは品質のばらつき。同じ干拓地内と言っても、畑毎に微妙にその性格は異なり、また生産者の技術も全く同じと言うわけではありません。農作物故にある程度の品質のばらつきというのは、むしろ自然なことなのかもしれません。それでも「ある時は旨うて、次はそうでもなかったらお客さんに申し訳なかろう?そいに『郡築トマト』の評判に傷がつくばい」と松本さんにとって品質のブレを無くすことは大命題。
そして、それに応える方法としても「中嶋農法」は威力を発揮。
畑の性質を可能なかぎり揃え、その畑の素性に沿った管理方法を示す。このことで畑と生産者のばらつきを矯正。この「中嶋農法」の基本的な考え方は、大産地ならではの「如何に品質を高いレベルで均質化するか」という悩みにズバリ答えるものでもありました。
肥後生科研株式会社の岩野社長。
郡築園芸部挙げて取り組む「中嶋農法」をアシストする。年1回、全生産者・全ハウス対象に土壌分析をを行い、適切なミネラルバランスとなるよう、ハウス毎の処方箋を作成する。
自前の選果場
そしてもう一つ、郡築には大きな課題がありました。
「そいまで郡築には自分ら専用の選果場がなかったとですよ」
各生産者が収穫したトマトが一堂に集まり、品質劣化がないように温度管理しながら精細な品質チェックを経て的確に分類、梱包して出荷。さらに対外的な商談や出荷調整も担うのが選果場の機能です。
「とにかく最終の品質の要が選果場ばってん。これを自分らで持たにゃ、責任あるもんば出来んです」
自分たちが精魂込めて作ったものを自分たちの施設で責任持って出荷する。
至極、真っ当な主張ですが、その実現は実に難航。最終的には
「補助金は一切なし。最終的に受益者負担、つまり自分らで資金を出すなら建設してもよかよ、いう事になったとです」
生産者50余名で、立派な選果場建築の資金を賄うという並々ならぬ決断。
「郡築トマト」には、こんな重く切実な決断も盛り込まれているのです。
郡築の夢、トマトの夢
大きな決断と変革を経て、トマト産地の最前線を歩む郡築。
その干拓者魂は、燃え尽きることはありません。
「まだまだダメばい」
松本さんが話すのは、実験的に導入しているトマト栽培の管理運営システム。
張り巡らしたセンサーで感知する情報を元に、温度・湿度・水分・肥料・炭酸ガス・日射量・・・それらを的確に自動でコントロールするシステムです。
現状は、開発途上で自動化には程遠いレベル。それでも松本さんはこのシステムに夢を託し、根気よく付き合っています。
「自分の上の世代は正に経験と勘の世界。何を言うとるんか、さっぱり判らんかった。自分の世代になって、成分分析やらで客観的に見ることは出来るばってん、そんでも経験に頼ることが多かとですよ」
自分の時代までならそれでもいいと話す松本さん。しかし次の世代。そして、その先の世代を考えた場合、自分が懸命に習得してきたやり方ではダメだと言います。
「トマトに夢ばないといかんばい。お客さんが『このトマトば旨かね』言うて、若い者が『おいもやりたい』と言う産地にならんと。それをすんのに、何十年かけて修行する時代やなかと?」
干拓100年。牡蠣殻混じりの土に鍬を入れ、塩害で不作に泣かされた干拓者の畑には、今、コンピューター管理のシステムが導入され、ベテラン生産者の経験と栽培方法を懸命に解析しプログラミングする作業が行われています。
様相は変われど、郡築を愛する人々の営みは、今日もう営々と繰り広げられています。