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折笠健(ますらお)さん

開拓者の物語

ー 遠い祖先と親父と俺と ー​

折笠農場
収穫したてのじゃがいも

開拓者5代

日本の大農業地帯、北海道十勝地方。

生協組合員さんとも馴染みの深い折笠農場は、ほぼその中央に位置し、約95haという圧巻の規模を誇る大農場です。

「私が開拓者として5代目。曽々祖父と曽祖父が約110年前に福島からこの地に移り、土地を切り開いたのが農場のルーツです」

そう話してくれるのは折笠健さん。

自身の広大な農場と北海道各地の生産者によって構成される折笠農場グループとして、主にじゃがいも、玉ねぎを長きに渡って生協に出荷しています。

父、秀勝さんの開拓物語

「生協さんとのおつきあいは父、秀勝の代から。もともと父は十勝地方では指折りのビート(てんさい)生産者でしたが、じゃがいも生産者へと転進したんです」

ビートは肥料喰いの作物。化学肥料そして農薬を大量に施して栽培します。

「土が痩せていく」

ある時、父、秀勝さんは地力の衰えを感じます。

「このままでは土が死んでしまう」

その予感は徐々に確信へ。

危機感を持った秀勝さんは、当時注目を集め始めていた緑肥(植物を土に漉き込み肥料とすること)を導入、地力回復に努めると共に、なんと大胆にもビートに比べ肥料を必要としないじゃがいも生産へと大転換を図ります。更に「土の再生、土作りという栽培を理解し、じっくり付き合ってくれる取引先を探さねば」と自ら販路開拓に奔走。縁を得て当時、伸長著しかった関西の生協との取引が始まりました。

「それが1970年の初頭。生協さんとのおつきあいが始まり、様々な意見交流を行いながら進めていくんですが、中でも直接、組合員さんに教えられることはたくさんありました。忘れられないのが『北海こがね』への切り替え」少し懐かしそうな目をして健さんは当時を振り返ります。

 

答えは全部、組合員さんが教えてくれた。

「今から30年ほど前になります。当時、主流の『メークイン』を『北海こがね』に切り替えるかどうか、悩んだ時がありまして」

メークインといえば男爵と並ぶジャガイモ界の二枚看板。というより、当時ジャガイモといえば、これより他にはほとんど市場には出回っていなかったそんな時代。

「ジャガイモの無農薬栽培を試していたんですが、どうもうまくいかない。それをある人に相談したんです」するとその答えは「まず品種選定を間違っている。『メークイン』では失敗して当たり前。『北海こがね』なら耐病性も高く食味も良い。何よりこの土地にあっている。これで試すべきだ」というものでした。果たして試してみると正にその通り。ねっとりした上質の芋が収穫できました。

しかし事は簡単には進みません。

「当時の大定番『メークイン』と知名度のない『北海こがね』。いくら実験結果が出たとしても、これを全て切り替えるのはすごく勇気のいることでした」

自分たちで食べてみた限りは、『北海こがね』も『メークイン』に負けず劣らず味が良い。しかし、ずっと『メークイン』に慣れ親しんだ組合員さんに果たして受け入れてもらえるのだろうか?悩んだ健さんは、生協の組合員さんに「メークイン」と「北海こがね」の比較試食を持ち込みます。

その結果「実は、ある組合員さんに叱られてしまいまして」

その内容は「どうして、もっと早くこんなおいしいジャガイモを栽培しなかったのか」というもの。健さんが「これでいける!」と確信した瞬間でした。そして改めて、品種選定の重要性とその作物を消費者に食べてもらって評価を検証することの大切さを実感した瞬間でもありました。

 

恩師、木村秋則さんとの邂逅

時を経て、緑肥栽培から特別栽培へと一歩々々、歩みを進めていた1998年頃、折笠農園にとって大きな出会いがありました。その出会いとは『奇跡のりんご』で知られる木村秋則さん。なんと農場を訪ねてこられたのです。そして「折笠さん、あんたとこで自然栽培をやれば日本の食が変わる。やってみんか?」という唐突なもの。驚く折笠さんに木村さんが説いた理屈は、

「大豆、小麦の国内生産は北海道、とりわけこの十勝地方に集中しとる。そして大豆、小麦というのは、みそ、醤油といった我々日本人の食の根幹を構成しとる。つまりは、十勝の農業が変われば、日本の、日本人の食が変わるんだよ」の朴訥とした、しかし芯の強い語り口で木村さんが続けます。

「そして、十勝の農業が変わるにはどうすればいいか?それは折笠さん、まず、あんたさ所から始めて、これでやっていける、上手くいくというのを皆に示すことだ」

木村さんは折笠さん達の取り組みを実は遠くでそっと見ていたのです。

木村さんの静かで、しかし力強くブレの無い話を傾聴しながら、その徹底した自然観察に基づいた合理的で実証的・科学的なアプローチを積み重ねていく方法論に、いつしか父、秀勝さんも健さんも心服。程なく折笠農園は、木村理論に基づいた自然栽培へと傾注して歩みを進めていきます。

 

開拓者としての矜持

そして今、折笠農場の約25%が自然栽培。

しかもそれは、あれもして、これもしての足し算の農法ではなく、自然の摂理に沿って栽培すれば、あれも不要、これも不要という引き算の農法。肥料、農薬の費用や労力を削減した上で、しっかり良いものができ、消費者に評価されれば

「きっと賛同してくれる仲間が増えていきます。この輪が広がって、多くの生産者が自然栽培を行うようになれば、無農薬・無肥料で育てた作物が皆さんの口に入る確率がどんどん増えていきます。大きな規模とは言っても自分だけの力でやれる事には限界がありますが、この取り組みが広がれば、他の生産者が作ったものを通じてでも、今まで支えてくれた組合員さんや消費者の皆さんに還元できることになり、これ以上ない恩返しになると思っているんです」そう健さんは目を輝かせ「これが僕の開拓事業だと思います」と語ります。

開拓者5代。

110年前、原野であったこの地に初めて鍬を入れた時、折笠さんの先祖の心情はいかばかりだったでしょう。大いなる不安とそれより少しばかり大きい希望。幾多の困難に見舞われた事は想像に難くありませんが、その度に一縷の望みを原動力にして、この広大な大地を切り開いてきたのでしょう。

いついかなる時代にあっても開拓者たれ。

その魂は世代を超えて受け継がれ、今も命の炎を燃やし続けています。

大型トラクターを操る折笠さん
コンテナを運ぶ折笠さん
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